■石手寺
観光地でもあり四国八十八ヶ所第五十一番札所でもある石手寺。
実は昔から「石手寺」と呼ばれてはいませんでした。
四国遍路の元祖とされる衛門三郎という強欲な者が門前に立っているみすぼらしい僧侶を見て鉄鉢を投げつけたのですが、その僧侶こそが弘法大師だったのです。
それからというもの衛門三郎の8人の子どもが次々と亡くなり、そのことから衛門三郎は心を改め、家を捨て、弘法大師を求めて四国をまわり、途中21周目の焼山寺の麓で病に倒れました。
そこに弘法大師が現れ「お前の罪は許された。河野家城主の一族として生まれ変わるであろう」そう言われて、衛門三郎と刻んだ石を持たされ、衛門三郎は安心して息を引き取ったそうです。
のちに、河野家に男の子が生れたのですが、生れてから一度も手を開かないことを心配して安養寺(現在の石手寺)に祈念して頂いたところ、開いた手の中に衛門三郎と刻まれた石を持っていたそうです。
その石を寺に納めたことから寺号が安養寺から石手寺にかわったそうですよ!
実は昔から「石手寺」と呼ばれてはいませんでした。
四国遍路の元祖とされる衛門三郎という強欲な者が門前に立っているみすぼらしい僧侶を見て鉄鉢を投げつけたのですが、その僧侶こそが弘法大師だったのです。
それからというもの衛門三郎の8人の子どもが次々と亡くなり、そのことから衛門三郎は心を改め、家を捨て、弘法大師を求めて四国をまわり、途中21周目の焼山寺の麓で病に倒れました。
そこに弘法大師が現れ「お前の罪は許された。河野家城主の一族として生まれ変わるであろう」そう言われて、衛門三郎と刻んだ石を持たされ、衛門三郎は安心して息を引き取ったそうです。
のちに、河野家に男の子が生れたのですが、生れてから一度も手を開かないことを心配して安養寺(現在の石手寺)に祈念して頂いたところ、開いた手の中に衛門三郎と刻まれた石を持っていたそうです。
その石を寺に納めたことから寺号が安養寺から石手寺にかわったそうですよ!